2013年7月30日火曜日

29週目 早期破水 陣痛開始、帝王切開にて出産 入院38日 出産1日目

入院38日目 29週目にて出産

朝方、日が昇る前に妻から連絡がありました。
まだ暗いのに携帯電話が鳴り響き、よくわからない状況の中で電話に出たら一瞬で目が覚めることを言われました。「陣痛が始まって、今から緊急帝王切開で出産しなければいけない」と言われました。

陣痛が始まっているため、妻はものすごく辛そうにしゃべる中、私はパニックになり寝ている子供たちを起こし直ぐに病院へと向かいました。家から出るまで、心臓がバクバクしていましたが、車に乗り込み運転している最中は、意外と冷静に運転できましたが、さすがに手術前に妻に会うことができませんでした。


病院についてから



夜間入り口で警備員に事情を話し、中に入れてもらい病棟のほうへ向かいました。
看護師さんが来られ、今の状況を説明してくれました。陣痛が始まり、私が来るのをギリギリまで待っていてくれたみたいなんですが、時間的に厳しいと判断され、手術室へと向かったみたいです。
一人手術室へと向かう妻の心境を物語ることを看護師さんが教えてくれました。

手術室へ向かうまで、妻は冷静だったみたいなんですが、手術を担当する看護師さんの中に妻の同級生がおられたみたいです。救急の担当の看護師さんは数十人おられる中で、今日のこの夜勤の時間帯で、めぐりあうことは奇跡なのかもしれません。

その同級生が、妻の名前を呼んだ時、妻は泣いてしまったみたいです。まさかこの病院で努めているとも妻は知らなかったみたいで、また会うのも本当に数年ぶりの再会だったみたいです。
妻の心境を、語るのは私には難しいですが、不安や緊張な中一人で頑張っていたんだと思いますが、同級生の看護師さんに「大丈夫だよ!」と声をかけてもらいとても心強く、安心したのだと思います。

つづけて看護師さんから今の状況を説明されました。
今は帝王切開の手術中になるので少し待ってくださいと言われ家族控室で子供たちと待っていました。

子供たちは、何が起きたのかわからない状況でしたが、この時は子供たちにちゃんと説明をしてあげることができませんでした。というのも、私の弱さというんでしょうか、正直このブログを書いている今も話せずにいます。色々なことを考えすぎて、またリスクのことも含めると私自身、今の段階で生まれたよと、言えない心境なんです。

子供たちはさすがに眠たいみたいで、寝かせていました。

そんな中、看護師さんから呼び出されて、もうすぐ子供が生まれますとのお話をいただきました。
少しであれば、会うことは可能といわれ、待っておいてくださいと言われました。


生まれた子供はとても小さく、呼吸もままならない状態だった



通路で待っていると、生まれた子供が、NICUへと向かうまでのほんの数秒?数十秒?会うことができました。

子供はとても小さく、人口呼吸器で看護師さんに空気を送られやっと息をしている状態のようでした。私はその中で子供が手があり、足があり、指があると確認できたのが精一杯でしたが、足が膝があり得ない方向に曲がっていましたが、その時それ以上のことを聞くことができませんでした。

看護師さんにとても赤ちゃんはしんどいので今からNICUで対応します。と言われ連れていかれました。本当に少しの時間の中で見た情報ではなにもわからず、この時は足のことばかり気になって仕方がありませんでした。

また家族控室に戻り、上の子たちはすやすやと寝ていましたが、私はいろいろなことを考えては心臓がバクバクして冷静でいれるようにとずっと考えていました。


帝王切開の手術終了の案内



控室で待っていると、看護師さんがこられ妻の処置が終わるのでまた通路で待機してくださいといわれ通路へとでて待機していました。
待機していると妻がベッドのまま運ばれる中、ようやく会うことができました。

私の顔をみて言った言葉ですが、妻は自分を責めていました「ごめんなさい、ごめんなさい」と・・・・
何も妻は悪くないのに、子供が早く生まれたことにとても責任を感じているみたいでした。
私は妻に「○○は、何も悪くないよ。よく頑張ったんやで。」と答え、頭を撫でることが精いっぱいでした。そのまま処置がまだ残っており、MFICU病棟へと妻は連れていかれました。


子供のことについて



しばらくたってから、産婦人科の先生と、新生児科の先生が来られ、ざっくりと今後のことを説明していただきました。妻のほうは特に問題なく、経過を見て普通の帝王切開での出産と変わらず、1週間から10日もすれば退院できますと言われました。
ただ子供のほうは、体重も小さく、1000gに達していなかったことと「今からすべての身体の検査を行ってからでないと具体的なことは説明できませんが、少し時間がかかりますが今日中には説明したいので病院で、待てますか?」とのことでした。私は、一刻も早く状況を知りたかったので、待機して話を伺うことにしました。


妻との面会が許されてから



子供の説明があってから、少し経ち、妻との面会が許されました。MFICU病棟なので子供たちは入れません。子供が生まれたことも言えていない状況では妻に会うと説明しなければいけないので少し助かったと思う自分もいました。妻にあいにMFICU病棟へ入りましたが、妻は冷静に戻っている風でしたが、子供のことをずっと気にして泣いてばかりでした。
妻も子供は見ることはできたみたいなんですが、とても小さく生まれたことを悲しんでおり、また後遺症のことをずっと気にしていました。
私が、医師や看護師さんから説明されたことを妻に伝え今日中には子供の状態がわかると話をして、あとは妻が自分を責めないようにと妻をなだめることぐらいしかできませんでした。


新生児科の先生からの説明


そうこうしているうちにかなりの時間がたち、夕方前に生まれた子供のことについての説明があるということで、医師のもとへと向かいました。

医師の説明では、さまざまなリスクがあるとしか言われませんでした。またこの1週間は要注意で、最悪のこともありうることと、在胎週数は29週ということで、普通であればクリアできていることも今の段階ではかなりしんどいレベルだといわれました。(症状については整理してUPしたいと考えています。)

私は、1人で医師の説明を聞いている中で、あまりにも緊張と不安が入り乱れ、ため息しか出ない状況でした。

そんな中、今NICUで会うことは可能だがどうされますかと問われ、子供に会いに行きました。
子供に会うまで私の頭はフル回転で、いろいろなことを考えていました。リスクのこと、未熟児特有の症状のこと、後遺症のこと受け入れることができるのかさえ自身がなくなってしまっていました。


955gの子供に会って



NICUは無機質な機会の音、アラームが絶えずなっているところでした。一生懸命に生きているたくさんの子供たちがそこにいることに気づかされ、私はようやく冷静になることができたように思います。わが子のもとへ案内され、自発呼吸がないため、人工呼吸器をつけられ、特殊な空気の送り込みが行われているなかで、必死に生きているわが子がそこにいました。

その時に、私は何を悩んでいいるの?と自分に問いかけることができ、初めて私はそこでこの子を何があっても絶対に守ると決心できたように思います。


妻への報告



妻への報告はかなり悩みました。病室に入ると妻は冷静になっており、子供の状況のことを把握したいといわれました。私は、とりあえず医師からの説明は包み隠さず、妻に報告し、必死で生きていることを伝えました。妻はまた泣き出してしまいましたが、しばらくして「子供の名前考えないといけないね」と話をして一生懸命二人で、前向きになれるように話をしていました。
ですが時折、妻は涙を見せて自分を責めていました。

本来であれば、一般病棟へと移るみたいなんですが、状況を把握してくれた看護師さんが、今日はMFICUの個室で過ごされますか?と聞いてくれました。妻は、今日は個室がいいと選択し、一人考える時間がほしかったのかもしれません。









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