2013年7月17日水曜日

未熟児を考え、出生前診断について考える。

最近になり、出生前診断が始まって3ヶ月を過ぎての受診者数ついてのニュースが出てきていますね。また新しい検査が始まる前年、つまり2012年での羊水検査10年前から少しずつ増えてきてはいたものの昨年、急激に増え10年前の2倍になったという報道もあります。

羊水検査の受診者数


まず日本においての、出生数は毎年少しずつ下がってきてはいたものの、100万人のあたらしい命が生まれてきています。そして羊水検査と呼ばれる、出生前診断を受けるかたはその中で約1%の1万人の方が受けられていました。
10年前は約1万人の受診者がいてそこから毎年100人程度の伸びがあり、昨年急激に増えて一気に2万人に増えたということが発表されましたが、これに関して、少し調べたのですが、裏付けをとれるデータがなく正直なところありませんでした。

ただ世間が急激に伸びたというのは、確かに数値だけでみれば1%から2%へと倍の伸びを示していますが、まだ受診率は2%という数値を見る限り、受診率は意外と低いんだという驚きがあります。

新型出生前診断の何が問題なの?


新しい出生前診断が発表されてから取り上げられた問題として論理的観点という部分が、多く聞こえていたように思います。ですが、現実の問題として、倫理的観点も問題なのかもしれませんが、最近になって言われていることが、倫理的観点だけでなく、受診される方への理解を深めなければいけないという部分が良く取り上げられているように思います。

新しい検査は、「安心」「高精度」となれば、すばらしい検査というように聞こえます。
医療技術が進歩し、たしかに一部の診断という部分ではすばらしいのかもしれませんが、問題点もいくつか指摘されています。これに関しては,日本産科婦人科学会倫理委員会母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する検討委員会が新型出生前診断がはじまる前、に指針案を出されています。その中に問題となりうるであろうテーマを取り上げています。

母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針(案)

というものが出されていますので、気になる方はぜひ一読をして、ご自身で判断していただけたらと思います。


指針案で問題定義されているものは何でしょうか。

(1) 妊婦が十分な認識を持たずに検査が行われる可能性があること。
妊婦さんの血を採るだけでできる検査ですので、簡単に「やります」と言ってしまう妊婦さんもいるかも知れません。安易に「安心のため」に受診したがる方もいますが、この検査で全ての状態を理解できるわけではありません。胎児に病気を持っている可能性は仮に検査結果が問題ないとしてもこの検査の対象でないものに関してはあります。

安心のための検査なんていうものはありません。中絶するのかどうかを考えもしないうちに、「病気かも知れない」と言われ動揺・混乱してしまう可能性もあるのです。

(2) 検査結果に対し妊婦が誤解する可能性のあること。

(1)のなかでも触れましたが、母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査は、母体血中のDNA 断片の量の比から、胎児が13 番、18 番、21 番染色体の数的異常をもつ可能性の高いことを示すものであり、遺伝子に関する一部の病気がわかるに過ぎません。生まれる前に発症する病気は数多くあり、診断を確定させるためには、さらに羊水検査等による染色体分析を行うことが必要と
なります。また精度が高いということで、受診された妊婦さんがその検査で得られた結果を確定的なものと誤解し、その誤解に基づいた判断を下してしまう可能性があるということです。
ほんの一部の病気だけをこうやって調べることにどういう価値があるのかどうかもわかりません。

たとえばですが「胎児は高い確率でダウン症かも知れませんが、ダウン症ではないかも知れません」と言われるだけです。ですが、「ダウン症だと言われた」と認識が変化する可能性があるのです。


(3) 胎児の疾患の発見を目的としたマススクリーニング検査として行われる可能性のあ
ること。


この問題が当初倫理的観点という部分で問題になった部分です。
この『マススクリーニング検査として~』というのは一人ひとりの問題ではありません。マススクリーニング検査とは、当たり前にみんなが受ける検査という意味です。もし「異常があったり、病気の胎児を中絶させるために妊婦さんはこの検査を受けるべきだ」となったら、どういう社会があるでしょうか? 。


指針案に書かれている問題点はこの3点ですが、基本的な考え方という部分でも問題として挙げられているものがありました。

指針案には、本検査をするのは「豊富な診療経験を有する小児科常勤医師(小児科専門医)が在籍していることを要し、認定遺伝カウンセラーまたは遺伝看護専門職が在籍していることが望ましい」と書かれています。
簡単に言えば「専門職がいる病院だけで、この検査は受けられるようにしましょう」という内容です。

病院に在籍などとありますが、基本的にこういう方と話が出来るのは病院内だけでの話です。仮に中絶を選ばれた方が、その後もその病院に通うことが出来ればいいのかもしれませんが、胎児に病気がある理由で中絶した場合、その後も病院へ通い続けることが出来れば問題ないのかもしれませんが、妊婦だけではなく、家族を含め、強い葛藤、苦悩などが生じます。

そのフォローできる体制がまだできていないというのは現実で、また指針案にも改善が必要と問題視されています。

以下は私の勝手な考えですが、

検査費用がかかること

おおよそ20万円がかかる検査です。また疑いが強くなれば、さらに羊水検査を受けなければ確定することはできません。これを高いとか安いとかは私にはわかりませんが、そこまでして一部の病気のことを調べる価値があるのかどうかがわたしにはわかりません。

もとをただせば・・・

まず、病気をしない子どもはいませんし、全てが完璧な人なんてこの世にはいません。
子どもに何を求めているかということですが、病気をもたない完璧な肉体でしょうか? 仮に生まれつきの病気を持っている人間は生きる価値がないのでしょうか?後天的に事故にでもあい、障害を持つことにより、 あなたの子どもになるまたは子供である権利はないということなのでしょうか?

また疑問を持つとすれば、胎児の病気を見つける(見つかる?)検査を、(実質的に)中絶可能な21週目以前にする必要があるのでしょうか?別に気になる方のためであれば、いつでも出来る体制でかまわないのではないかという想いです。

医療技術の進歩は私はとても賛成です。ですのでこの新しい出生前診断という技術自体も別に悪いものではないと考えます。また必要性や需要がなければこの分野の技術は衰退しこれから新発見されるかもしれない、治療方法が発見されなくなる可能性もあります。今この時代にでもわからないことはたくさんありますし、解決できないこともたくさんあります。
ですが、指針案においての議論の投げかけがあまりにもフェアでないように感じるのは私だけなのでしょうか。この技術がもたらす問題は「人間の価値をどうみるか」や「病気を持った人が生きやすい社会とは何か」ということを頭からないもののような問いかけです。

仮にこういう問いかけをするならば、医療とは別の視点も必要なはずと私は考えます。


人間とは、何のために生きているのでしょうか? 

では、どういう人間なら生きる価値があり、逆に価値がないのでしょうか? 

では、そういう人権や権利といった教育は、日本ではどう展開していくべきなのでしょうか? 

では、どういう社会なら病気を持った人たちも共存して生きていけるのでしょうか?

こういうことも真剣に考えていくことが大事なのではないかと思います。


最近になり、こういうニュースに多少なりけり敏感に感じます。たぶん女性の方などはもっと敏感なんだろうなと想像できます。

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